縄文性。 それは母なる森と海に身をゆだね、自然から全く分離していない感性。 自然と差の無い心。 宇宙そのものの心。 空なる器。 いつの時代でも日本人は、その空なる器に外来の全てを受け入れ、混ぜ合わせて、新しくいのちを与えてきた。 それは、空なる器、縄文の心がベースにあったからこそ成されたユニークな歴史なのだ。
「有」であることがアイデンティティーであるというあり方に対して、一見なにも無いようで分かりにくいが、 「空」なる器というところに、アイデンティティーを自覚した時、 日本人は本当の自信を持つことが出来るのではないだろうか。 空なるルネッサンスが始まるかもしれない。
真砂秀朗「畔道じかん」より